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藤岡みどり活動日記

~松前町の明るい未来を目指して~   ワクワクレポート+α

平和について考える

2014/08/06 22:22 ジャンル: Category:日記
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 「今朝はいつもと違ってまだ真っ暗な早朝起きで午前5時前に集会所に行き、お招きを受けていた早起き会の集会に参加した。今日のテーマは原爆被害から平和について語る会だったので、被爆者である母の話をさせてもらった。6時の閉会の後、帰宅して朝食を食べたら頭がボーっとして眠気が襲ってきたがここで眠ると起きれなくなりそうだったので我慢して昨日できなかった用事を済ませ、事務所に入った。午前10時からネットワーク松前の打ち合わせ会。午後からはバドミントンで汗いっぱい掻いて事務所に戻り、今日決まったワイワイ座談会の開催要項を作って5時半帰宅。今日も夫はお客さんと外食のため、のんびり一人夕食。」

 母の被爆体験について・・・
 母は長崎にて69年前の8月9日、お昼前の旧三菱軍需工場の鋳物製造ラインで14歳の女子学生のとき被爆した。
 彼女は幸いにも地下の比較的閃光の当たりにくい場所での被爆のため、投下直後の爆風による建物倒壊とガラス破片での傷は受けたものの、放射能そのものの体内被害が少なかったせいで後々の深刻な原爆病にはかからなかったが、爆心地から1.5キロの非常に近い場所で被爆しているのに命が無事であったことも奇跡に近いものと言えよう。
 その証拠に当時の学徒動員でそこの場所に来ていた者の3分の2が一瞬にして亡くなったとのことを後で知ったらしい。たぶん倒壊したがれきの隙間から這い出して地上に出たようだが、どのようにして外に出たかも記憶にないぐらい無我夢中だったそうだ。偶然にも生存者を探している荷車を押している人たちに助けられ、現場からひと山越えた比較的放射能汚染の少ない場所で3日3晩手当を受けて、その間ずっと黄色いものを口から吐き続けていた記憶があるらしい。それが体内の悪いものを出していて、後遺症が比較的少なくて済んだのかもしれないと後に語ってくれた。

 しかしこのような話は私が高校生になった頃からやっと話し出してくれたようなことで、もちろん被爆者手帳は持っていたが、なかなか詳しい話をしてくれなかった。
 そしてあのきれいな打ち上げ花火があまり好きでなった理由が、打ち上げるときの「ヒュ~っ」という音が爆撃弾投下の音と重なり、また真っ暗な空を一瞬にして明るくする光が閃光と重なるみたいで、まさに彼女のトラウマのようになっていたのだということもずいぶん後になって分かったことだった。
          原爆投下  
 だが彼女は私に詳しい話をするようになってから、宝塚の被爆者の会に入り活動を始め、自分たちが語らなければあの惨事が風化してしまうことを、そして平和の尊さを伝えることが生き証人としていかに大事かということを強く感じたのか、みなで被害者の同人誌(体験談などをかき集めたもの)を出して我々世代に伝える活動も始めた。
 

 ただ残念なことは、その後母は糖尿病を悪化させ認知症にもなって、その活動もできないばかりか、その大事な記憶さえどこか遠くに行ってしまったようだ。だがその後たまたまその体験集が彼女の孫である私の息子の目にとまり、この貴重な体験記をこのままお蔵入りさせちゃいけないと思ったのか、英訳して長崎の原爆資料館に送ったところ資料として展示していただけることとなったのだ。
          平和像
 まさに母の貴重な体験、平和への強い思いが、また別の形で復活することができた瞬間だった。この思いは私の中にある護憲精神、息子たち世代につなぐ平和国家と不戦の誓いへと形を変えても繋がっていくものと信じ、語り続けていきたいと強く思っている。

 午前中のネットワーク松前の話し合いで、11月に行うワイワイ座談会の開催要項がほぼ決まった。講師へのメール連絡をして、今度母の検診日でもある22日にご了解と先生からの講義内容についてのご提案を頂くつもりだ。できることは早め早めにしておかないと、9月が近づくと忙しくなるもんだから・・・

 バドミントンは、熱中症にならないぐらいの緩いペースで行うことに。でも汗はかなり掻きますね・・・

 本当に今日は1日忙しかったけど、充実した1日だった。

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藤岡みどりの【小部屋】

Author:藤岡みどりの【小部屋】

■藤岡みどり

夫と二人の息子の協力を得ながら活動を続けております。もちろん「主婦業」も頑張ってます!

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