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藤岡みどり活動日記

~松前町の明るい未来を目指して~   ワクワクレポート+α

久々の山の家に

 「昨日の土曜日は朝からモーニングコーヒーを夫ともに済ませた後、ダイソーに行って整理しやすいプラボックスを数個、ほかにも便利グッズを購入して帰宅。前から気になっていた洗面所内の収納整理ボックスの棚の部分を数時間かけてきれいに整理したら、とっても気分がよくなった。でも屈みこむような姿勢で仕分けしていたので、とっても腰が痛くなって、夕食づくりの頃にはかなりつらかった。一晩寝たら、かなりすっきりしたけど・・・・」
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 今日は、久しぶりに山の家に行ってみた。紫陽花のつぼみも気になるし、家の中の湿気も取っておいたほうが…なんて考えながら上がってみたら、さほど室内も湿気ってなかった。
 ただ紫陽花の花のつぼみの付き具合はまだまだの状況だった。これ
から暖かくなって雨も多く降ると条件が整い増えてくるのかも知れないので、今後に期待したい。
 その後、冨士山に上がってみたら、なんとつつじが満開で、こち
らのほうはゴールデンウィーク最後まで持つだろうかというぐらい咲き誇っていた
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 展望台からの景色も、少し曇ってはいたがきれいに見えた。ラブ
ちゃんもつれて行ってたので喜んで一緒にお散歩。
 お昼は大洲のたる井さんに行って、うな丼を楽しんだ。お腹いっ
ぱい食べて、帰宅の途に・・・
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 夜は長浜のお魚を刺身と煮つけにと、朝、魚屋さんに頼んでお
いたものを持って帰っていたので、それで美味しくお酒を頂いて、母の件で少しへこんでいた気分も少し上昇して・・・明日からまたいつもの元気で走って行こうっと!

相続処理に向けて

 「午前10時から依頼していた司法書士さんたちが来て、母の相続の件で事務処理をお願いするため相談に乗ってもらった。約1時間ぐらいは近況報告とか仕事のことなど
結構興味深い話も多く、実際の登記に関することなどは残り15分繰りの話でさっと終わった。母の戸籍謄本は長崎だし弟は宝塚だし遠方が多く、それらすべて専門家により早く取って頂けるようなのでお願いした。その後役場に行って、町民課や保健課で手続きをして、年金に関しては銀行の年金係の方にお願いしてるので、そちらから動いてもらうことに。午後2時半からは事務所にて年金係の方と打ち合わせ、さらにワクワクレポートの残りの部分を書き加え、いつもの校正に多美子さんと愛子さんにPDFにしてメールで送りお願いした。」


 その後、エミフルに行って化粧品を買いに、また食材も購入。毎日メニューを考えるのも時々面倒くさくなるけど、能トレにもなると思いやってますが・・・・
 明日から大型連休に入るが、さすがに何の計画もない。この間に母の相続など、残務処理に充てていきたい。また整理整頓など、時間のかかる家事にもトライしたい。
 49日までは床の間に祭壇を作ってなるべくお線香を絶やさないようにして、時々母の写真に向かって手を合わせお願いを・・・今日も1日無事過ごせますように。

タブレット使用環境に不満が・・・

 「今日は定例の議員全員協議会があり、午前中いっぱいまでかかった。完全ペーパーレス化を目指してタブレットでの議会運営だが、自宅での運用もできず、サーバーからの資料のダウンロードもセキュリティの関係で庁舎内でないとできないので、実質持ち帰っての運用は資料としてみるだけで非常に使い勝手が悪い。同僚議員からも不満が出ている。午後からは母のことで、いろいろな事務手続きをしないといけないので引き続き書類の取り寄せや電話連絡などをして、すぐに時間がたってしまう。」

 気が付けばもう4月も最終週に・・・・もうすぐ大型連休がやってくる。でも喪中の私には何の計画もないので、コロナの時のように普段できない家事を。特に棚の整理など、すっきりさせたいところがまだまだあるのだ。こういう時間のたっぷりある時に、去年も使ったので今年も頑張ってみよう。また、そろそろ庭の花たちが春の花から夏の暑いときでも行ける花たちに替える予定だ。
 母の遺品の整理もあと少しある。アクセサリーや小物などは友人や母の関係者に少し小分けしてもらい、時折皆さんに母を偲んでもらおう・・・・・
 49日は5月末の日曜日に決め、告別式や通夜式に来てくれた親族、関係者に送って法事も滞りなく済ませていくつもりだ。
 ワクワクレポートも原稿書きがまだ残っていて、これも早くしないと季節感が狂ってしまう。何とか5月中旬までには印刷を終えて、封筒入れ作業までには持っていきたいところだ。

残務処理に追われる

  「今日は朝から雨模様・・・私にとっては涙雨。午前中は来客が多く対応してたりお話しをしているうちに時間が過ぎ、午後からは仏具屋さんが来て位牌に戒名を彫り込んでもらうため説明を受け、また買い物に出て支払い等で銀行に行き、アイソウに椅子の修理を出していたら修理完成との連絡が入り取りに行き自宅へ運ぶ。夫の使わなくなった運動器具の上にはめ込んで大勢の来客に対応できるようにした。」

 今日も母の件で事務的なことも多く片付けなければならず、当分いろいろな書類提出のため役場や銀行など行って処理しないといけないこともまだまだあるようだ。
 母のこの4年間、お世話になっていた施設に医療関係品の処分を
お願いしたり、スタッフの皆さんへのお礼の品を届けたり、相続に関することで司法書士さんにもお願いしないといけないこと、年金の処理など本当に目まぐるしい。
 明日は、定例の全協があるため久しぶりに議会に顔を出すことに
。ちょうど3月議会が終って休会中に母のことがあったので私も助かった。母さんありがとう・・・・

今日も一日、フル稼働

 「今日は朝からネットワーク松前の総会資料作成で8人のメンバーが集まって、おしゃべりしながら事務所にて約1時間ほどで作成した。その後引き続き、私の支援会でもある藤岡みどりを推薦する会も夏の選挙に向けて話し合いを行った。お昼過ぎまでワイワイやって、その後母の件で必要な手続きのため銀行に行ったり、電話連絡、さらには地域の防災の件で近所の防災士と打ち合わせをしたり結構忙しく、午後4時過ぎには定期検診のため病院に向かった。寝不足や疲れで万全の体調とは到底言えないのだが、自分に気合を入れて動いていた。」

 夜は7時半過ぎの夕食で、食後は睡魔が来て食卓テーブルで転寝をしてしまう状況・・・・
 なかなか普通の生活ペースにはならないし、逆に忙しさの中で母との別れをじっくり悲しむ余裕がないのがいいのかもしれない。

一夜明けて・・

  21日(金)、早朝に長男夫婦が帰り、弟の息子(長男・次男)も帰って、弟と彼の三男がせっかくなのでと車で松山や砥部などを一日観光して夕方帰って来た。
 私は事務所にてネットワーク松前の人たちと総会に向けての打ち
わせをしたり、母の件で銀行関係の人たちとの打ち合わせや残務整理が残っているので忙しく、かなり疲れているのがよく分かった。
 夜は鍋にして、弟家族2人と私・夫、次男の5人で
食事をしたのだが、料理の準備、片付けなど、もうすでにビールや酒でいい気分になってお尻に根が生えてる男どもに腹が立ってきた。(次男は2階で8時半までしていたので)イラっとしながら何とか鍋を始め、ようやく5人が揃ってビールを飲もうとしたら、もうそれがなくて急遽、次男に買って来てもらい、それから11時半ごろまで飲んで食べて・・・、夫は眠くなってとっとと寝室に消え、弟はタバコを吸いに外へ出ることが多く、結局また最後の片づけも私・・・イラっ!! 次男がそのあと一緒に手伝ってくれて片づけもスムーズに終わったのだが、もう疲労はピークに達していた。
 今日22日は朝から少しゆっくり目の起床。昨日準備し
ておいたサンドや調理パン、果物などで4人で朝食を済ませ、弟の三男は朝10時前に車で帰宅の路に。弟は長距離バスで帰るとの事で一番町のバス停まで送って行った。
 また母の使っ
ていた洋ダンスや整理ダンスなどの処分について地域の方に相談すると、欲しい人がいるかもしれないからと一緒に施設から引き上げるのを手伝ってもらうことに。ちょうど、運び出す手伝いに次男が残っていてくれたので一緒に衣類や他の物も一切合切運び出すことができた。これで大変な仕事もスムーズにできて助かった。
 その後、衣類や寝具など仕分けして袋に詰めて、古着・古布で出せ
るものは次回の収集日まで何か所かに分けてストック、またタオルなど集会所で使えそうなものは手伝っていただいたお礼にお渡しした。
 夜は、ようやく親子3人だけになったので松山
に出て食事を済ませ、ほっと一息ついたら急に疲れが出てきたので入浴して12時頃には就寝出来て、すぐに爆睡した。

母との悲しい別れが・・

 17日朝、病院からの3度目のお呼びがかかり夫と二人駆け付けたところ、もう点滴も効かず、脈も下がりつつある状況で、いよいよ最後通告のような感じだった。
 もう10日も頑張っている母は、私の7つ年下の弟に会いたくて待っているのではないだろうかと思い、最初の大坂からの帰還は断った経緯もあったので、すぐに来れないかと連絡して彼は急ぎ飛行機の手配をして、それでも夕方6時半に松山空港着だったので間に合うかどうか微妙だったが、とにかくまだ息をしている母に何とか病院に連れて行き、会わせることができた。
 弟の呼びかけにわずかに目で反応を示し、何とか間に合った。やっぱり待っていたんだ。その後いったん家に帰って、病院からの連絡を待つことに。
 18日朝7時頃に、病院から「心臓が今止まりました」との連絡があり、急遽弟と3人で病院に駆けつけて再度医者による死亡確認をしてもらい、4月18日午前7時55分逝去ということになった。
 そのあと寝台車をベルモニーから呼び、霊安室に移された母はやっと苦しみから解放されて少し穏やかな顔になっていた。その後、それぞれの息子たちへの連絡を済ませ、会館にいったん運び込まれた母の遺体のそばで手を合わせ、慌ただしくこれからの日程に向けて準備をするため、いったん悲しみの気持ちを封印して淡々と向こうの担当者と話を進めた。今回は私が喪主を務め、すべての演出を決めていった。
 弟と私で母のメモリー写真を選んだり事務的な用事も多く、家と会館を行ったり来たりしながら、その日の晩は10時半ごろには会館を出て、家で就寝した。
 
19日、朝9時過ぎには次男が東京から駆け付け、納棺の儀が午後4時ぐらいにあるのでそれまでに私も美容院に行ったり目まぐるしい時間の経過とともに用事を済ませ、その頃には私が選んだ母のお気に入りの着物と帯を着せてもらい顔はうっすらお化粧をしてもらい口元もふっくらと整えてもらい、紅も挿して頂くと本当に生前の優しい上品な母の顔になっていて胸にこみあげるものがあった。
 夕方から夜にかけて弟の子供たちがやってきて、久しぶりの出会い
にやや興奮気味のみんなをよそ眼に私は、夕方6時半からの通夜式から20日の告別式に至るまで打ち合わせをして、疲れがかなりきていたがとにかくやり抜く覚悟でもう一段ギアを入れて通夜式に望み、きれいに作っていただいた花に囲まれた祭壇をみて、いよいよだなとまたもやぐっと涙が込み上げてきた。
 家族葬で本当にごくわずかな人たちだけのお葬式にしたかったので
、用意された椅子は3分の1しかうまらなかったけど、生前、母とのつながりのあった親戚関係だけの弔問とさせてもらった。
 通夜式も8時には無事終わり、今回も教深寺の石黒住職さんにお願
いして心温まるお経や説法で締めていただき、夜は長男夫婦も駆けつけてくれて、久しぶりの再会に皆はなしに花が咲いた。
 20日、前晩からずっと線香が絶えないように棺の前で火の守り
をしていた母にとっては孫たちが眠い目をこすりながらほとんど徹夜をしていたみたいで、かなり眠そうに私が起きた7時ごろから交代して布団にまたもぐりこんでいたけど、さすがに9時前には起こして替えてもらい受付や各段取りの説明を受けてもらった。
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 私の長男と弟の長男がそれぞれの視点でおばあちゃんとの思い出話
どを踏まえ、素晴らしい弔辞を語ってくれ、会場の皆さんの涙を誘った。お経の中で焼香を終え、さらに初七日法要も終え、式の終了、私の挨拶となった。前日からいろいろ構想を巡らしていことを紙には書かず、頭の中で整理していたものを約5分ほど皆さんの前で母の人生を紹介するように、またその生きざま、家族にとってどんな存在だったのか、また多分人生の残り15年はほとんど病気との戦いの中でしたので、それらを労う様に話すことができてほっとした。
 その後、棺の母の最期の姿を目に焼き付けるように皆で祭壇の花を切って、ふたが閉まらないかと思うぐらい花を母の顔の周りや体全
体を包むように供え、最期の別れをした。
 棺は5人の孫たちに抱えられ霊きゅう車に入り、私と弟がそれぞ
位牌と写真を持って乗り、親せき身内のものが数名2台の車に乗り分けて伊予市の清淨苑に行き、骨上げまでの約1時間半の間に精進上げの食事を済ませ、骨をお骨壺に収めて一連の行事は終了た。さすがに骨と化した母の姿を見ると、もうこの世の人では無くなったと悲しい実感をした。
 夕食は9人で北斗に予約して
いたので家事的には楽だったが、いろいろな用事でこの日も午前
2時過ぎ就寝。あ~疲れた、しんど~い。

言論封殺は許されない

 「今朝からずっと小雨続きで庭の水やりはしなくてすむのだが、雑草たちの勢いも増してきてこれが大変・・・また花の整理とともに庭の手入れもしなくちゃならない。この頃はまたツバメたちも巣作りにやってきそうで、しかも玄関入り口付近なのでこれは困りますと、こちらからご退去願いますと対策の笹棒を立てかけたところ今のところは何とか功を奏しているようだ。依然、母の状態は変わらず、病院からは特に連絡もなく遠方の息子たちも時々ラインで心配している旨、伝えてきてくれる。とはいえ日常のいろいろな仕事はこなしていかねばならず、事務所にてワクワクレポートの原稿書きの続きをしたり、書類の仕分けや整理をしたりで結局夕方5時過ぎまで居て、自宅に戻った。」

 今日は朝からとんでもない事件が起きてニュースでもちきりだった。去年の参院選の折に安倍元首相が選挙応援演説中に暗殺された衝撃的な事件が起きたことは記憶に鮮明にあるが、今回も岸田総理が選挙応援に行った先で爆弾を投げられ、あわやという事件が起こったのだ。さいわい爆弾の威力も小さかったし、事前に不審な行動をする犯人に気づいた人たちや警備の人に取り押さえられて未遂に終わったが、こんな暴挙は本当にあってはならないことだ。なぜ警備を強化してもこのようなことがまたしても起こったのか、その背景や動機についてしっかりと検証していただきたい。
 暴力やテロによる言論封殺は民主主義を根底から覆すもので、選挙中でしかも現職の総理をターゲットにしていることから、民主国家や平和を愛する私たちへの不敵な挑戦だともいえる。徹底した警備と、このようなことで言いたいことが自由に言えない世の中にならないように徹底した警備もお願いしたい。

北海道は大騒動に

 「今日は朝から新聞記者さんの訪問を受け、気になる事象についていろいろ質問を受けて私なりの回答をした。いろんなところで取材をして記事を書いていくお仕事だから、これからも何かとお忙しいのでは…。今朝は北朝鮮からICBM弾道ミサイルが日本の北海道沿岸に着弾するのではと、かなり緊張した空気をJアラートの警戒音が醸し出していた。結局1時間後にその情報は誤報で事なきを得たのだが、こういうことが頻繁に起こると狼少年のように本当の情報まで誤報と思って誤った解釈をしてしまいかねないので、この結果を慎重に分析して正確な情報を提供していただきたいと強く思う。さらに今日は黄砂の影響がかなり出て、外に出ると何だか埃ぽくって目がちかちか痛いような感じがして、当分マスクは外せない感じだ。」

 お昼過ぎまで事務所にてワクワクレポートの原稿を書きながら来客対応をして、結構忙しかった。昨日は私のパソコンの調子が悪くて、いつもこういう場合に飛んできてもらうプロの長山さんに連絡して割とすぐに時間調整してきてくださって物の5分ほどで直してもらったのでなんだか申し訳なかったのだが、スタッフが別のパソコンの修繕依頼をして、これが結構時間がかかって、それなりの料金をお払いすることができて、ほっとした。
 そのため今日は、遅れた分を取り返そうと頑張った。この調子でうまくいけば今週中には、原稿の8割は完成しそうだ。
 また母のことで病院に4時過ぎに尋ね、5分ほどの面会を許してもらった。呼吸は以前より楽になっているようだし、呼びかけには少し目を開けて反応してくれているようだった。ただ依然容体的には落ち着いているようだが、徐々に腎臓の機能低下とともに水分排泄が十分にできないため、そう長くは持たないだろうという状況のようだ。
 ずっと側についていてあげれないのが残念だが、コロナの影響で病院の決まりには従わなければならないので、ごめんね・・・・ママ
          
みどり 我慢、がまん・・

ワクワクレポート準備に

 「今日は朝からいいお天気。明日からお天気は崩れるとの予報が出ているので、頑張って洗濯した。テラスに干してから、事務所に歩いて行きデスクワークに入る。4月下旬には仕上げたいワクワクレポートの原稿を書くために、まずは前号を参考にレイアウトを仕上げていった。明日から原稿書きに専念していこう。母のほうは何とか一山超えたが、昨日の医師の話によると腎臓の働きがほとんど止まっていて次第に全臓器へと影響が出るので、肺炎は少し収まったがもう時間の問題でこの1週間が最期になりそうだとの事だった。そのため最期の面会のように10分ほどの入室が許され、私と夫が声がけをしたら声を上げて何か訴えているようだったが、何が言いたいのかわからなかった。でも確実に私たちの存在はわかってくれたように感じた。コロナで直接会えたのは3年ぶりにこの2~3日というものだったが、仕方がない。」

 母のことで今回の土日の大阪に行く予定がキャンセルとなり、それも実行日の2日前だったので結構料金がかかったが、そんなことは言ってる場合ではないので・・・
 結果的には小康状態を保ち、一つ目の山を越えて今のところ生死の境をさまよっている。この間に母にとっては可愛がっていた孫たちをよびよせ、短い時間ではあったがお別れの面会はできた。
 今は、いつ病院から連絡が来るのか待つのみで、それは母との永遠の別れを意味するから少しでも後になってほしいし複雑な気持ちだ。

統一地方選挙

  「今朝はちょっと花冷えのするような寒さもあったけど、お昼になるにつれ暖かくなってきて本当に春爛漫の日曜日となった。今日は統一地方選挙の第1弾の日で、愛媛県議会選挙も夜には即日開票される。まだ寒い時期の2月ごろから本格的な選挙戦となった今回の伊予郡の選挙戦。あまり争点のない、むしろ共通する課題少子化問題、防災対策、産業振興など、本当に候補者も戦いにくい選挙戦だっただろうと推察する。ただ若い女性候補が出馬され、前回は無投票だったところに風は吹いたかもしれない。しかし全体的に見て投票率の伸びが悪く、期日前投票数も前回より低いし、さてさてどうなるのでしょうか・・・・これは他人ごとではない。私たちの選挙も8月末にはあるのだ。どう盛り上げていったらいいのか、関心を向けるには。課題は多いと思うのだが、半ばあきらめムードもあるのか何を言っても変わらないと思っている選挙民も多いのでしょうね。でも1票の力は弱くても固まれば大きな力になるはず。特に若い人たちには是非かかわっていただきたいし、皆さんの未来に直結する事なんだから・・・・」

 母の状況はいまだ予断は許さないが一番重篤な状態からは抜け出したような感じだ。もちろん側についてあげることは病院側から禁止されているので、6日の搬送後の入院時に見た時から未だ会えない状況だ。コロナ禍のため原則身内であっても、一人5分ぐらいの入室しかできない。もちろん母はコロナではないのだが、私たちが入室することのリスクを回避するためなんだろうが、やはりつらい気持ちは変わらない。結局、子どもたちも今度会うときは最期の時なんだということを理解してもらって別れた。
 明日からは病院側の連絡がない限り、普通の生活を淡々と送るし
かない。母の年齢、体の状態から言ってもう施設に戻れるほどには回復しないだろう・・・となれば、なるべく苦しい時間を短くしてほしいと願ってしまう私は冷たいのか・・・いや、4年半前に胃ろうにした時から母の苦しみの延命をしてしまったのかもしれないと、今は複雑な気持ちだ。天国の父からお呼びがないのか、母の心臓が強いのか。

母、小康状態に

 「朝8時ごろナースステーションに電話したところ、熱も下がって酸素濃度も上がり今は少し呼吸も楽になってきて前日の状況からは良くなってきているということだった。あくまでも点滴と酸素吸入が効いているのだろう。母はもともと臓が強い人なので持ちこたえているのだろう・・・大阪の弟には状況を話し、来るのをいったん止めてもらった。来ても最期の時しか会えないということが分かっているので・・・・」

 病院に洗濯仕上がりの物を届けに行って、帰りにナースからの
リクエスト品としてティッシュペーパーと歯磨きティッシュを購入し帰宅。
 せっかく
病院に行ったのだからと母の様子を聞くと、熱も36度台に下がって呼吸も楽になってきて点滴もスムースに入って徐々に一山超えたようだと。
 夫の今日、明日中に最期になるとの予想をはるかに裏切って、お通
夜どころか当分目は離せないけど良くなっていく状況にも見える。やっぱり母は心臓が強いのかな・・・点滴で肺炎の炎症を抑えて 小康状態を保っているのか・・・・父がこっちに来るにはまだ早いと、三途の川を渡りかけた母を追い返したのかな??

お花見気分が一転・・・

 「今日はあいにくの雨ではあったが、前から予定していたネットワーク松前の中の行ける人5人で、大谷池近辺で花見ドライブをしました。もうだいぶ花も終わりかけ、しかも今日は風も強く多分この2~3日で花も終ってしまいそうだが、何とか1時間ちょっと車窓から楽しみ、最後に多美子さんの用意してくれたお抹茶で途中購入した生菓子を食べて、ほんのりお花見気分を味わうことに。ちょうど大谷池横の祠のような古いお堂の中ですわりながら、周りの景色をみながら楽しんだ。11時半には、もにこど2さんでランチを。約1時間おしゃべりタイムで、コンパクトお花見は終了・・・」
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 実は11時過ぎに母のお世話になっている施設から電話が入っていて、すぐにかけ直すと母がかなり重篤な肺炎にかかって酸素濃度も低い状況でどうしましょうか、救急病院への搬送について聞かれ、状況判断は主治医にお任せすることにしてとりあえず13時の段階で夫が私が動けない間に施設に行って対応してくれて、すでに奥島病院のほうに救急搬送されたとメールで知り、すぐにタクシー飛ばして病院に急行した。
 病院では、すでに処置室に入り検査を受けている状況だった。夫と施設の担当者が待機していて、3時過ぎに検査結果について院長から肺の写真や血液やいろんな臓器の状態などの説明を受け、ほとんど今夜が山だと告げられ私たちそれぞれ手分けして連絡すべきところに連絡し、8~9日の大阪行きのチケットキャンセルなど急ぎ対応した。
 夫からは息子たちへも緊急性の高い状況を知らせ、私も大坂の弟に連絡したあとの判断で行く行かないを決めることに・・・・
 結局コロナ禍で病院としても病室に入るには短い時間で一人だけで許可証も必要で、かなり厳格な体制になっていた。結論から言えば、急変してもう時間がないという状況になった時に初めて連絡をもらい会えるという状況だから、まだ余裕がある場合は会えないということなんだ。理不尽な話だが規則は守らないといけないので、安否については連絡待ち状態になっている。
 ただナースステーションへの直通電話はできる状況下にはあるので、時折連絡して状況は聞くことは出来る。

男性の意識改革を

 「今日は朝からポカポカ陽気で明日から崩れるとの天気予報に洗濯もして、午前中は何かと家の用事が多くて事務所に着くのが11時過ぎになってしまった。スタッフと打ち合わせをしながらデスクワークを片付け、昼は事務所で簡単に食事を済ませ、1時半には事務所を出た。2時からのフラのレッスンがあるので・・・今年度から私がこのフラグループの事務局をかって出たので、家での練習用の曲をテープではなくCDにコピーして皆さんに渡すことから始まり、決算報告書とメンバー表を作成して配布し、会計さんには監査の終わった帳簿をお渡しして年度初めの大きな作業は終わった。潤子先生は大先生となったため毎回は来れないので、月1回の新曲の振り付けの指導に来られるのだが、今日はその日に当たり少し新曲の振りを進めてもらった。」
          フラダンス1
 練習は3時までだったのだが久しぶりに会うと皆お話がしたくて、30分ぐらいおしゃべりでいつもの時間より延長していた。
 そのため4時に予約が入っていた歯医者に直接行かないといけなくなって、少し早かったけど行って、すぐに歯のメンテナンスの歯石や歯茎のチェックをして、しっかり歯磨きをしてもらって最後に先生に診てもらい、歯茎の腫れてる部分に薬を注入してもらい終わった。
 帰りに買い物をして帰宅。今日は夫が洗濯物は取り入れてくれていたが、相変わらず自分のものだけタンスにしまって私のものとタオルは放置状態・・・・ムカッと来る。
 私が夕食を作っている間も気にもせず、どうでもいいような時代劇を見ている・・・またムカッと!!
 アサリを調理台にたくさん買ってきて置いている。多分食べたいのだろう・・・それでアサリの酒蒸しにする。こういう時はクックパットのレシピが役に立つ。
 調理と配膳が終ると、おなかも空いてるし、先ほどの怒りは消えて小言を言う前に一杯飲んじゃう感じで毎日過ごしてる・・・少しは気づけよと思うが、全く鈍感な夫。わざとなんかな??
 食後も流しに自分の食べたもので少し残したものや汚れたお皿などは持って行って生ごみ袋などに捨てて、自分の卓上がきれいになるとまた茶の間の炬燵に潜って横になりテレビを見ながら、いつの間にかイビキをかいて気持ちよさそうに寝ている。もちろん私が調理中にお風呂はとっとと入ってますから、ビールも効いて眠くなるんだろうが~~~私はこれから鍋や調理に使ったものすべてを片付け、食器類は食洗器に入れて流し台をきれいにして、明日すぐに使えるようにしておく。こんな作業は全然しないから夫の家事分担時間は妻の家事分担時間の5分の1なんですって…愛媛県は全国でワースト3だって・・・こんなに夫婦ともに仕事もしながら不公平なら、若い人が結婚したくないし子どもなんか産みたくもないと思うのは当然の成り行きだと思う・・・少子化対策の基本中の基本は、まずは男性の意識改革からだネ!!!!!

エイプリルフールです

  「今朝はゆっくり休んで起きたので、一昨日からの疲れは少しは取れたかな今日はエイプリルフールだけど、皆さんはどんな1日でしたか?

 昨日、おとといの30~31日は友人と共に高知へ向い、結構強行軍だったので、かなりきつかった。ただ道中の桜は所々で満開で目を和ましてくれた。
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 今日はとてもいいお天気だったので、溜まった洗濯物を一掃してテラスに乾
すとよく乾いた。
 カレンダー上では今日はエイプリルフールなん
だが面白いフェイクニュースもなく、なんだか1日が過ぎていった。