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~松前町の明るい未来を目指して~   ワクワクレポート+α

広報原稿にアクセク・・

 「朝から雨模様。雨脚が少しづつ強くなってきている感じ。午前中は集中して議会だよりの原稿仕上げ、レイアウトの変更などでスタッフと相談しながらほぼ夕方までに出来上がるように道筋をつけた。午後1時過ぎには中川原のグループホームにフラダンスの慰問で2時間ほど事務所を抜ける。その間スタッフに汗を掻いてもらうやり方で何とかつなぐことができた。3時半には事務所に戻って、夕方5時半ごろまで文章作成、校正、ページのレイアウトカラー選定などぎりぎりまで頑張った。」
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 今日のグループホームへの慰問は約1時間で3曲踊り、アンコール要請まであって楽しく交流することができた。最後の曲は「涙そうそう」で歌詞カードをあらかじめ作っておいたので、それらを会場にて配布。皆さんに一緒に歌ってもらい、いい雰囲気の中で踊ることができた。
 また2階にいる母などのメンバーが下りてきて一緒に視てくれたことが嬉しかったが、どうやら母の視線と興味は私たちの踊りにはなかったようで、下を向いたりあちこち横を見たりして落ち着かない風だった   。
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 でも父のいない今、母の健康だけが、気持ちよい長生きが私の願いだから、こうしていてくれることだけでも認知症の母にはぜいたくなことを要求しても行けないだろう。
               
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 夕方6時過ぎに買い物も終え、帰宅。今日は夫の大阪出張のため、一人のんびり夕食を。
 夜中は眠くてもウインブルドンテニスを。残念ながら雨天で今日の錦織の試合は見れなかった。寝不足が続いているのでやはり睡魔が・・・

議会だより原稿書き

 「今朝は梅雨そのもの・・・しとしと雨が降っている。かなり忙しい1日の始まりだ。事務所にて議会だよりの原稿の一部修正から追加の分まで書き上げて行く。途中、地域のおなじみさんたちが来訪。気を使わない方々だけに、私もデスクワークしながらの対応となる。失礼かもしれないのだが、特に住民相談ということでもなく世間話のお相手を。昼からフラダンスの練習に北公民館へ。明日グループホームの方に慰問で行くことになっているので、その前日練習という感じだ。何とかなるでしょう・・」

 フラの練習が終わってから、3時前に広報の件で議会事務局へ。
 写真の選定も含めて、補佐と打ち合わせを。ページの確認をしていると編成も変更しないといけないことが判明したので、明日にかけて大急ぎで修正していく予定だ。
 また7月1日の検討委員会のレジュメや進行方法について打ち合わせをする。30日にもう一度資料がそろったところで最終打ち合わせをする予定。

 終わってから久しぶりに定期検診のため病院に行く。
 帰りに買い物などしたので、帰宅は6時半に。夫はもう帰ってきていてリラックスモード。
 私は休む暇もなく夕食の準備。なんだかチューハイ1缶でも眠くなりそうな中、原稿締切のためレイアウトについてまたパソコンとにらめっこ。あ~眼が疲れてしょぼしょぼしてきた。
 おやすみなさい。

バタバタな一日でした

 「今朝はとってもいい天気。梅雨の中休み?と思っていたら午後から曇りだし、ついには降り出して結局大雨になっちゃった。実に忙しい1日だった。朝から議会だよりの原稿を少し手直し、また一部他の委員の部分もレイアウトを補足したり、変更したりして事務局へメールで流す。金曜に確認した備えニュースの最終校正からの返事がないので連絡すると、入院したとの話を聞いてすぐに別の防災士にチェックと後の印刷等の作業をお任せした。昼前には郵便局に行って、父の相続手続きの一環として書類提出や他の事務処理なども行った。その後ソフトバンクショップで、父の利用ストップと息子に頼まれた用事もあってその帰りに買い物も済ませた。そしてまた事務所に帰って残り議会だよりの原稿書きの続きの作業に入る。」

 事務所を5時半ごろ出て、約束していた今度の満中法要の場所にもなる教深寺に行ってご住職と打ち合わせをする。本堂の中も見せていただいたり、当日の段取りについていろいろ示唆して頂いた。1時間ほどお話を聞いて帰宅する。
 また明日からの仕事がまた増えて、結構忙しさも続きそう・・・

 いよいよ今日からウインブルドンテニスが始まる。
ぜひ錦織に頑張ってもらいたいが、芝のテニスはちょっと苦手意識がありそうな感じ。脇腹のケガもあって、さてさてどうなることか?
 今日から第1試合に出てくるので応援したい。

充実の一日

 「今朝は久しぶりによく晴れて、梅雨の一時的なお休みのような快晴だった。それを見越して洗濯機の中からすでに脱水が終わった洗濯ものを干した。よく乾きそうだ。さらに今日は朝9時から近くにある集会所のお掃除当番が回ってきていたので、当番になってる人たちで30分もたたないうちにきれいになった。集会所くらいに家の中がきれいだといいんだが・・・10時過ぎには買い物に行って、昼食と夕食のおかず一人分を購入。夫は今日1日詩吟の大きな大会に出ていたので、もし予選で各グループから2位以内なら昼から決勝戦があって、さらに夕方は懇親会があると聞いていたので・・」

 昼過ぎに夫から嬉しそうに『入賞してしまったので、これから決勝戦に出る』との電話報告が。私は午後からしっかり広報の原稿を責任分担分の書き上げをやり遂げようと思っていたので、会場には応援行けなかったが、よく頑張ったね。
 結局ご帰還は10時過ぎに。
足元もおぼつかない位に酔って帰って・・・手には長くて大きな箱を2つ持って。中には決勝戦で3位になって大きな持ち回りのトロフィーと、もう一つ自分用のトロフィーが入っていた。
 そのトロフィーを父の祭壇に飾って、
3位入賞の報告をしていた。父は本当に夫の詩吟が好きでよく大会に聞きに行っていたから、きっと喜んでくれるでしょう。

 
私も何とか今日中にやりあげようと思っていたノルマ分はできているので、充実した1日だっと言えるだろう。
 長男が今日卒論のために一時帰国して、
東京の二男の家で厄介になるようで、到着した旨の電話があった。彼もまたこのイギリスが一番大変な選択をした記念すべき日の翌日に帰って来るなんて・・
 彼にとってもEU離脱は、びっくりポンだったようだ。

 明日からまた忙しい週の始まりだ。ガンバロー

ひまわり集会&芸能大会

 「今日は朝8時45分には岡田小学校のひまわり交流会の講師として、習っているフラダンス教室のメンバーが担当していたのでみんなで行ってきました。何時もなら私たちの先生が行ってくれるので私たちはアシスタント役でよかったのだが、今回は先生の都合でどうしても出席出来ず、急きょ私たちが担当しなくちゃならなかったので大変だった。でも何とかレジメや小道具を使って、そしてみんなの協力・チームワークでこの難局を乗り切った。よかった。」

 午前8時45分、岡田小学校のピロティに皆で集合し、とにかく80分間楽しんでもらう内容について控室で打ち合わせを。皆も柔軟に対応してくれたので、私も全体の進行役としてとてもやりやすかった。
 素直な岡小キッズの反応もまずまずで、最後にはみんなで二度ほど初心者の登竜門である『赤いレイ』を踊ることができた。収穫だったのでは・・
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 11時ごろ帰宅。昼食を済ませいったん事務所に行き、広報原稿書きをしようと思ったのだが肝心なメモリーを持って来てなくて明日への持越しとはなった。
 
 夕方には、西高柳の第30回目の芸能大会の記録係として参加。主に動画を担当しているのでまた編集して秋の文化祭の折に皆さんに披露できるようDVDに作成する予定だ。
 今年はお約束通り岡本町長が来て下さった上に、1曲のどを披露してくれて会場は大盛り上がり。また社協の理事長さんの手品があったり、地域の珍味屋さんに務めるベトナム人の5人の女性に参加してもらったり、ゴスペルグループの参加もあったりで本当に一味違う今回の会となった。皆さんの歌唱力も年々向上しているようだし、いい大会になったように思った。
5時始まりの8時半終了だった。
 最後は皆さん全員で二曲歌ってお開きとなった。
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英国、EU離脱!

 「今日は雨も風も強く、事務所に行くのにも車から降りて横降りの雨に足元までびしょびしょに。朝10時より防災の備ニュースを作るため防災士3人が集まって最終の編集会議をする。既にたたき台は作っていたので、それを基にいろいろな意見を取り入れて文字数を削減したり読みやすいレイアウトを試みたりして午前中でほぼ出来上がり、校正仕上がりの原稿を印刷にかかる責任者にメールで送る。午後2時からはネットワーク松前の一部の方が集まって、今後のワイワイ座談会の準備として関係団体への調査をいかにしてやっていこうか・・・など、いつも通り本論から軌道逸脱、修正の繰り返しをしながらなんとか話がまとまっていく? 私は4時で中座したのだが、さてさてあの後どうなったのかな??」

 4時から予約していた美容院に行って、6時の通夜式に間に合うように月心会館へ。
 近所の方のお父様が無くなって、
私もよく知っている方なので本当は告別式に出席したかったのだが、明朝はひまわり交流会に出ないといけないので、そちらに行けないので、せめて通夜式にでもと思い故人の冥福を祈った。

 帰宅したのが7時前でそれから夕食作りだったので、
食事の時間はずいぶん遅くなった。
 ちょうどニュースではイギリスのEU離脱で国民投票の結果が決定したので、世界中がかなりびっくり。
 市場ではそれにものすごく反応して円高のすごい急騰、
株価大幅値下がり・・大方の予測では拮抗しているが最終的には残留で行くのかなと思っていた専門家が多くて、予想に反した決定に諸外国もEUの国々も当惑、これからの影響についても心配のよう。
 残留を訴えていたキャメロン首相は辞意を表明。
日本企業が1000社もあるという英国で、本当に今後が心配だ。政府の支援も必要だろう・・・

6月議会終了

「今日も雨が降ったりやんだり、時折強い雨に。何かは起こる議会最終日。今回も全協では何も言わず、本会議でボディブローのように口撃する人には何とも疲れます。政策的なことで議論しての疲れとは全く異なる疲労感。とりあえず6月定例会は終わった。今後は広報の仕事がまた1か月続くが。原稿締切との格闘はあるが人間関係のドロドロしたものがないだけに異質な疲労感で済む。これからは地域のいろいろな行事や防災ニュースの発行など忙しい中にも楽しさのあるものが続く。前を向いて走り出そう。」

 午前中いっぱいかかって本会議とそのあとの広報委員会が終了。
 昼食後、事務所にてデスクワーク。週末の岡小ひまわり交流会でのフラダンスのパフォーマンスについて、その準備資料を作成。また24日には防災ニュースの原案作り、また28日に向けて議会広報の初稿入稿に向けての準備など、怯んでいられない仕事が山積みだ。

 明日は時間の合間を見て、父の相続事務処理も片付けていかないといけないし、なかなかほっ とできない毎日になりそう。
 明日はイギリスのEU残留か離脱かの国民投票があるとか・・・そのロンドンから息子の電話が。この25日ごろに一時帰国するらしい。帰ってきてもこちらではあまりゆっくりできないそうだが・・・

今度は豪雨が

 「昨日の大雨が朝にはきれいに上がって蒸し暑さだけが残っている感じだ。朝食後父の古い友人でもあり家族ぐるみのお付き合いをさせてもらっているおば様と涙ながらの℡トークをして、気づけば9時過ぎに。事務所によって必要な書類について打ち合わせ後、父の相続事務手続きとして銀行に立ち寄り、しなくてはならないことが山ほどある中で一つ一つ片づけている最中でもある。午後からはフラダンスのレッスンで週末のひまわり交流会での内容についても先生と打ち合わせをして、レジュメの訂正もあって何とか25日当日にいいパフォーマンスができるように工夫していきたいと思った。」

 時間が無くて結局ランチなしで、時間が過ぎると意外と空腹感が無いものだ。
 3時前には庁舎によって必要な打ち合わせをして、帰りにエミフルによる。帰宅後は一人夕食。

 九州地方は集中豪雨に襲われた。地震で被害が大きかった熊本地方にまたもや追い打ちをかけるような豪雨に見舞われ犠牲者が6人も出ていた。被災した家や道路、さらには地盤に亀裂のあるところに大雨が降って地すべり、山崩れの原因になっている。
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 2か月前には父と九州(長崎、福岡)旅行をして墓参りも済ましてきたのだ。長崎の駅前が冠水し手大変なことになっていた。もしあんな状態だったら行けなかった。この旅行も結果的には最後の思い出の旅道中だったわけだったのだ。

 さあ明日はいよいよ6月議会最終日。この後に私たちには議会だより発行のため忙しい日々が続くのだが・・・頑張るしかないのだ。

予算決算常任委員会

 「昨晩からかなりの勢いで雨が降っていたが、今朝はほとんど上がっていた。でも梅雨のこの時期、やっぱり降ったりやんだり。何となく湿気があってジメジメして過ごしにくい日々が続いている。先日の予算決算常任委員会審議が時間切れで残った部分に
ついて、朝から審議に入った。やはり自由通路の設計費用の変更の件で、何度も行政側との間で質問が繰り返され10時半ごろに議論が煮詰まったようになったので暫時休憩になった。トイレ休憩のつもりで室外に出たところで持っていたカバンの中のケータイに反応して、しかも父の相続書類に関するものだったために確認しながら話していると意外と時間が掛かってしまった。そのため休憩時間が伸びてみんなに迷惑をかけたから謝れと怒鳴られ、部屋に入るとまばらな人の中で何がなんだかわからないまま・・すいませんと・・委員長以外の方からここまで口撃されるとは・・・疲れました。」

 そのあと基本条例検討委員会を11時15分ごろから初めて、項目的に議論となるだろうと思われる事を順に議論の土台に挙げて意見交換しながら進めて行こうとしていたが、これについてそもそも論へUターン。議会改革の根本論と個々の具体的な議員活動から検証しながら考えていくべきだと。言われていることは理解できるしそれも手法の一つ。ただ時間的な制限が課されている中では、前に進むためにある時点で一つ一つ結論を出すことがミッションだと思う。さてさて基本条例の一般的な基本的項目についてそれぞれ意見を出してもらった中である程度形にしたたたき台を次回までに出す予定。道はまだまだ遠くハードルも多いが、一つ一つ着実に進めていくしかないのかな。

 事務所には3時半ごろ戻って、スタッフと打ち合わせ。明日のフラのレッスン時にみなさんや先生にひまわり交流会の件で相談しなくちゃいけないので、そのための資料作りを。
 また父の件でいろんな書類提出やそのための電話連絡などで、この頃はマイナンバーの提出を求められることが多く、一つ作業がプラスされたようでなかなか面倒だ。

 今日はかなり疲労感の多い1日だったけど、いつまでも引きづるものでもなく、明日はきっといい1日であることを祈って。
          頑張らなくっちゃ!

父の日なのに・・・

 「今日は朝から雨模様。父の日は私にとって涙の日だ。今日もし元気だったらプレゼントしようと思っていたパジャマがあったのに。先週は一緒に行こうと思っていた落語会も行けなくなった。ふた七日が過ぎたが、あと手続きがいろいろあって本当に悲しん
でばかりはいられないのに、
書類に父の名を書き込んでいるとすぐ目頭が熱くなる。満中陰志の準備もしなくては・・」

 昨晩が遅かったせいで朝起きたのが9時過ぎで、ゆっくり寝過ごした。本当は資源ごみ回収の日だったので8時前には起きなきゃならなかったのだが・・・
 遅めの朝食で昼食も久しぶりに夫と買い物に行って
チャーハンで済ませ、夜はすき焼き。お店に行くとお父さんのための肉コーナーみたいなのがって、そのノリで私も買ってきたのだが、おいしそうに食べてくれる父はもういないのだ。夫は体のために肉は食べないと言うし、つまらないけど仕方ない。糖尿にはなんでも少しづつ食べたほうがいいのに・・・

 午後からは事務所にて、明日の基本条例検討会のための準備、
一部レジュメ作りなどをして6時過ぎに帰宅。
 すき焼きの準備をしていると、
おいしそうなさくらんぼが届いた。父の好物だ、また祭壇に飾っておこう。天国の父に、プレゼント。花もきれいにしましたよ・・
             さくらんぼ

防災グループ、話し合い

 「朝からよく晴れてまさに洗濯日和。洗濯機を回しながら、新聞が溜まっているので資源ごみ回収に間に合うように束にして車に積んだ。午前中はあっという間に家事で過ぎてしまい、さらに掃除などもしたかったのだが結局部分的なものしかできなかった。午後1時よりコムズにて女性と防災グループの会合があり、前回の宿題を持って出かけた。来年1月のコムズフェスティバルの分科会の企画内容について話し合った。防災体力と非常食の試食会というタイトルは決まっているのだが、その中身についてメンバーでしっかりと詰めて行かなければならない。」

 午後1時から4時にかけて、防災体力のインストラクターや講義内容や体力チェックリスト表や徳島大学で行っている防災体力ダンスなどいろいろな提案もあって、さらに良いものにするために講師の選定から新しいニュースソースを含めたよりよいものにするため、次回までにそれぞれが調べてくることになった。非常食についても黒潮町の缶詰だけでなく、県内産で何か備蓄に対応できる物はないかリサーチしてみることに。この夏はいろいろ忙しくなりそうだ。

 そのあと久しぶりに高島屋へ。売り場によっては父のこともよく知っている人たちもいるので、父に起こった出来事についてお知らせするとみなさん一葉に驚きを隠せないようだった。皆さん、元気な時の父しか知りませんから。本当に突然の逝去だっただけに・・・

 夕方帰宅後もなんだか父の話をいっぱいしただけに、また胸が苦しくなるような悲しみが湧きあがってきた。明日は父の日だというのに、もうそれを祝う人はいないのだと思うと余計つらくなって。
 明日は祭壇や玄関の花をまたきれいなものにやりかえてあげようと思った。

前町長の講演会に

 「今日は文教厚生委員会の傍聴に。朝9時15分過ぎに議員控室に入るなり、自分の考えをぶつけてくる発言には閉口するが、口論する気力もなくスルーして6階へ。今日の会議では議論になるような懸念事項はなく、約1時間ほどで終わった。11時半には事務所に戻り来週に向けて準備しておかないといけない書類についてスタッフと打ち合わせをして、この土日も宿題が多いなと感じた。特に来週から6月末にかけてフラダンスチームの慰問活動や岡田小学校のひまわり集会の総合学習のためのレジュメ作り、また地域の防災ニュースの発刊に向けてレイアウトや原稿入れなどいろんな準備が重なる。その上父の相続手続きや関係機関へ提出する書類の準備など追われるような忙しさのある週になりそうだ。」

 夕方6時からは、前町長の白石勝也氏の町長時代16年間を振り返って約1時間半のお話を聞かせておらった。会場は150人を超える人々が集まって、色々なエピソードも踏まえた興味深い話を聞くことができた。時折出てくる合併前後の話は、当時合併協議委員をやっていた私にとって、ちょっぴりほろ苦いお思い出話として聞くことができた。
 座って話されている時は元気そうな感じを見せておられても、立って歩き始めた姿は腰を守ろうと前かがみになって、本当に歳を取られたなあという感じは否めなかった。
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 その後の交流会の懇親の席には、気分的にも喪中のため遠慮させていただいた。懐かしい顔がそろっていたので本当は残っていたい気もあったのだが・・
 今年の初めに最愛の奥様を亡くされた町長。まだ半年も経っていない今、結構お寂しい日々ではないかと思われるが、その奥様のことも明るくエピソードとして話される姿に達観した強さを感じた。まだ私には父の喪失感から抜け切れないが、時間が日々の忙しさが、それらから和らげてくれるのかもしれない・・と思いながら。

総務産業建設常任委員会

 「今日は朝から梅雨らしい天気で、しとしと雨で湿度も高い。9時半より私が委員長を務める総務産業建設常任委員会があって、請願2件と理事者側から2件の付託案件があった。請願2件のうち1つについて私的には賛成のものではあったが、いろいろ意見が分かれ自分の意見を言えない立場であったのだが、なんとなく促されて言ってしまったことで結果的には不採択になってしまったのだが、後味の悪い下りになってしまった。また総務課より出された松山市との広域連携協約について、思いのほか懸念事項が多かったのか質問と答弁の中身が噛み合わなかったりで時間が掛かって、結局午前中いっぱいかかってしまった。疲労感の残る審議だった。」

 ただあれだけ問題点や要望が出されていたのに反対ではなく賛成だったので、これもまた不思議な展開だった。結果的には全会一致で賛成だったのだから・・
 もう少し議員間討論ができるようにすべきだったのか、私自身も進行役として大いに反省すべきところなんだろう。

 帰宅後は父の関係手続きでまだ色々残っていることが多いので、書類の書き込みなど今できることを一つ一つ片づけて行くようにしていった。
 それでもそのような手続きをしながらふといろいろ思い出す場面が出てくると胸が痛くなってくるので、なるべく事務的に淡々とやるようにしているのだが。

一般質問

 「今日は一般質問の日。私はいつものように通告書の提出が早かったので、1番手。ただ今日はなぜか傍聴者がやたら多いのでびっくり。ほとんど満席状態だった。聞けば、今日初めて一般質問する議員さんの地域の方々を中心とする婦人部の皆さんが20名ぐらいの団体さんとして陣取っていた感じ。初めての傍聴の方もおられた様だが、また再々見に来て下さったらとも思う。今回は傍聴席のページの原稿依頼もスムーズに行くだろう。」

 私の質問には副町長や部長から回答があり、空き家の実態調査はまだこれからであることが判明。詳細については時間が掛かりそうだが、先進事例としても注目の町としてはこれからも次のステップに向けて色々な展開が期待されるので、今後の動向を注視していきたいと思う。
 また耐震診断の補助については今のところは予算内で対応できそうだが、これからさらに耐震設計に多くが移行していくと予算オーバーにもなりうるのでその時は補正を組む用意があるとの回答だった。
 国体で来られる県外関係者の宿泊については松山市で対応し、民泊・ホームステイについては今のところ考える余地がないとのことで、別途おもてなしについては考えている事があるようだ。

 午前中いっぱいで4人の一般質問は終わったので、昼から現地視察へ。
 まちづくり課の計画している4か所、水路工事や土川の歩道化、ポンプ小屋の改修、海風で朽ちたガードレールの取り換え工事など・・・
 それぞれについて写真を。
  水路工事 土川の歩道化
ポンプ小屋改修ガードレール取り替え
 1時間ほどで回って、庁舎に戻る。今後の委員会の進行について関係者と打ち合わせをする。

 3時過ぎに事務所に戻って、スタッフと打ち合わせ。
 まだまだ忙しい日々が続きそう・・・

夜になると、しんみり・・・

 「朝からとてもいいお天気。昨晩から洗濯機にかけて出来上がったものを早速干した。よく乾きそう・・。父の祭壇に手を合わせ線香を立て、1日が始まる。午前中は来客があったりいろいろ事務所内で忙しく時間が経って、昼からはいつものフラダンスレッスンが練習場の公民館が今日は健康診断のため各部屋をすべて利用しているためお休みのため潤子先生と25日のひまわり集会の件で打ち合わせができると思い、連絡を。案の定レッスンがあるつもりで来ていたので、その時間帯に打ち合わせができた。」

 ひまわり集会での内容についていつものようにはできないので、これならというものを私の方から提案し彼女の了解を得ることができたので、次回のレッスンの時にグループの皆さんに伝えなきゃならないので、その前に話ができて良かった。2時過ぎには彼女はエミフルのフィッタで次のレッスンがあるので私は庁舎に行くため中まで誘導した。
 庁舎で明日以降の件で事務局にも寄って検討委員会の進行上の摺合せなどを行った。

 夜は夫は知人たちとの夕食会などで外食だったので、一人のんびりとちょっぴりしみじみと食事をした。缶ビール1本でも酔えるような、自然と涙が出てきたり・・この喪失感はたとえようがない。
 失って初めてわかるその存在の大きさ。父は私の心の支えになっていたのだろう。気付かぬうちに大きな支えになっていたのだ。目を閉じれば、あの優しいまなざしや笑顔が浮かんでくる。もうすぐ父の日だ。もうプレゼントする相手はいないのだ。

 明日は、一般質問の日だ。熊本地震後の住宅の耐震診断や空き家利用、国体の宿泊体制などを質問する予定だ。しっかり仕事をしてこの悲しみを吹っ切ろう。

1日が早い

 「今日は朝から父のことでいろいろ事務手続きや連絡しないといけないこともあってほぼ午前中を自宅でこなし、11時ごろから事務所にてデスクワークをして昼食は事務所にてセブンイレブンのバーガーで簡単に。2時半過ぎから議会事務局に行って、今度の委員会について事務連絡を。そのあと父の使っていたケータイの停止手続きのことでエミフルに寄り、その後母のいるグループホームによって書類の受け取りに行って5時過ぎ帰宅。本当に1日が早い。」

 今日も何か夢中になれることをやっている時は父のことを忘れられるのに、今は何をやってもそこに帰結するのでついウルウルきてしまう。でも無理に我慢すると返ってつらくなるのでウルウル来たときはそれも自然なこととして受け止めるようにしている。

 でも世界中では突然命を奪われる理不尽なことが起こっている。
 フロリダ州のオーランドのナイトクラブでイスラム系の男性が銃を乱射して100人以上の死傷者を出すテロ事件を起こしていて、多くの若者が無くなっている。同性愛者が多く集まる場所だったらしいが、そういう考え方や人々への偏見や許容できない思いからこんな残酷なことをする、しかもISに忠誠を誓ってこのような無差別殺人をする・・・本当に許せないが、こんなに頻繁に銃による悲劇が行われていても銃規制が思うように進まないアメリカの悩みが浮き彫りになる。
 そしていま日本で一番の話題は舛添知事の進退問題だろう。今日の総務委員会で自民党を除く会派からの辞職要求また明日の不信任決議案の提出が現実のことになってきて、知事も解散をちらつかせながら延命を乞うていた。しかもオリンピックや参院選などをちらつかせて・・。

気を紛らさないと・・

 「今日は梅雨らしい1日だった。朝から雨がしとしと降っていて周りの田んぼは一斉に田植モードに。ほとんどが兼業農家のようなので土・日の作業が中心となるようだ。私は本当は午前中には軽スポーツ大会に出て午後からは父と一緒に若手落語家の話を聞きに行く予定だったのだが、父の逝去で予定は一変してすべてキャンセル。心はこの雨のようにしとしとピッチャんで、なかなか心の底から笑えるような心境にはなれないのだ。こんなに深い喪失感があるなんて想像もつかなかった。それほどまでに、私にとって父の存在はいつの間にか大きなものになっていたとは・・・」

 午前中は夫とモーニングに行ったあと、母のいるグループホームに行き、様子を見に行った。いつも通りにゆっくり朝食を食べていた。目はこすったのか目ヤニで引っ付いたようになっていたのでケアしてもらうようにに頼んで、母の部屋に父の写真を持っていき彼女のベッドから見れる
ように置いた。父の死をわかっているのかどうかわからないけど、
それを聞いても返事は帰って来ないし、何か言っても意味不明でよくわからない。

 
午後からは15日の一般質問の発表原稿を資料を調べながら3項目中2項目について書き上げ、残りは明日仕上げる予定だ。結局自宅にて書き上げ事務所には行かなかった。
 夫は詩吟の会があって出かけて行き、夕方帰ってきた。
私は床の間の父の祭壇に手を合わせ、写真を見つめながら、いろんなことを話しかけては涙がにじんでくるのがまだ抑えられないのだ。
 
なるべく家事や他のことをしてる時は考えないようにしているのだが、父のことでお知らせしておかないといけない方が抜けていないか、月曜日からの手続き的なことなど考えざるを得ないので、またいつの間にか父の祭壇の前に座ってしまうことが・・・・やはり完全に仕事で家にいない時の方が、一時でも忘れていられるので気が紛れていいのかも・・
 いつまでも沈んでいるわけにはいかないのだけど。

事務手続きは大変です

 「今朝からとてもいい天気で、ごみ出しに出た時隣の奥さんとちょっと立ち話。お庭のアジサイがとってもきれいに咲いていますねと言ったら、切り花に使わない?と言われちょうどお花の活け替えを考えていた時だったので喜んで頂いた。白・薄ピンク・紫・薄ブルーの学アジサイや提要アジサイ本当に素敵だった。早速父の祭壇の横にアジサイの花を供えてやりました。
                       紫陽花
 少し用事もあって事務所に父のものを取りに行って、11時ごろには夫の詩吟関係の友人夫妻が来られ、父との直接の面識はないのだがいろいろお話しさせてもらって拝んでいただいた。
 T氏夫妻は去年の秋ごろお母さんを亡くされ、
やはりずっとご一緒だっただけにまだまだその存在を自分の中で消すことができず、もう少し時間が掛かりそうだと言われた。それなら私なんか告別式からわずか1週間のこの時に精神的に落ち込まないわけがない。

 昼から夫が帰ってきて会社印の印鑑証明カードがあるだろうと、
また父の重要書類関係の引き出しなど一つ一つチェック。結局出て来なかったので別のもので登記関係に添付することになるだろう。
 さすがに書類の仕分けが早いのだが、とても事務的でやはり私にはそ
こまでドライにできないのが現実だ。その分仕分けが遅くなるのでちょうどいいのかもしれない。

 明日は雨降りの模様。
多分周りは田植えモードになるんだろうね。まさに6月の風物詩の舞台だ。1日中、自動田植え機の音が聞こえるだろう。そして夜にはカエルの大合唱だ。
 今日は1日中渦巻きお線香をたき続けたので、なんだか家中にそ
の香りが残っている感じ。
 じいちゃん、おやすみなさい。
             じいちゃん

時の経過が加速・・

 「6月始まってもう10日も経っている。今週は父の逝去に伴う通夜式から始まって一生の内でもあまり経験しない悲しい出来事で過ぎ去っていくと時間の過ぎるスピードが加速されているような気がする。今日は朝から除籍謄本作成の手続きで郵便局へ行ったり役場に行ったり、事務所では満中陰に向けての名簿作り。さすがに書き込みの方はスタッフに任せ、午後2時には父のメインバンクに行って、今後の口座の件や相続手続き上でもいろいろお世話になることもあるので支店長と話をした。夕方事務所に戻り来週からの6月議会について打ち合わせをした。一般質問に向けての原稿はこの週末に書き上げる約束をして帰る。」

 帰りに事務手続き上お願いすることもあって父のいた施設エンゼルに立ち寄り、書類記入をお願いしてそのあと丁度通りかかった理事長と立ち話をして親を亡くした経験からその悲しみや喪失感についてお話を伺い、とても励まされた。まだ母も残っているため同じような悲しみをまた味わうのかと思うととてもやりきれないのだが、ある意味覚悟を持って対処すれば乗り切れるのかなとも思った。

 帰宅後夫とリビングにある父の部屋から引き揚げてきた遺品についてまた仕分けしていらないものについては捨てることに。捨てるに忍びないもののみ残して・・・
 7時半ごろにはめどがついたので、近くの焼き鳥屋の「ちゃんがらや」さんに行って夕食とした。
 祭壇に飾った父の写真を見ると涙が出るのだが、日に何度か前に座って語りかけるのだ。
 朝は「おはようございます。」仕事に出かけるときは「行ってきまーす。」帰ってきたら「ただいま」、夜寝る前には「おやすみなさい」って・・・
       祭壇  


6月本会議

 「今日は6月議会の本会議初日で、新しい仕様の議案書や資料に戸惑いを感じながら、午前中は専決事項3件を含め報告事項、即決事項について審議し議決し、そのあとの委員会付託事項の特に補正予算関係は午後からの予算決算常任委員会で審議された。特別会計についてはスムーズに終わったのだが・・一般会計補正の特に産業建設部門の北伊予自由通路の整備事業関連で一般質問でも出ている問題でその回答との関係もあって審議不十分で結局4時半までかかって20日に予算決算委員会で再開することになっ
た。途中、議論がぐるぐる回ったり答弁が不十分だったりで疲労感の残る会だった。さあ15日の一般質問に向けて、発表原稿も十分かけていないので週末はこの時間を割かねば・・」

 一方で父の死亡後の役所や年金事務所などに出す書類作成、手続きなど一人でやっていかねばならないので悲しんでばかりはいられない。母のことも気になりながら、予算決算の後の広報委員会も忘れそうな感じで、手続きに舞い戻って気が付くという本当にボーっとしているのかなと感じられる。
 会議後の5時過ぎに保険課福祉課、さらに町民課で父に関連するいろいろな手続きで職員さんたちの協力を得てスムーズにできたので助かった。みんな知ってる人たちだから話しやすいし、皆さんその道の専門家だから短い時間の中で、てきぱきと対応してくれるので頼もしかった。ありがとう。

 明日も忙しい1日になりそうだ。抜けが無いように気を付けながら前に進んでいこう。いつまでも悲しんでいたら父が安心して浄土出来ないものね。

事務手続き、大変です

 「今日も雨はなく空梅雨の模様。ただ私の心はウエットのまま。何を見ても父のことが思い出され、もっと話をしたかったもっといろんなところに連れて行きたかったなどと思ってしまう。いつかはこんな時が来るのはわかっていても、どこかで打ち消してもっと先と思っていた節もあった。そんなことを考えたくなかった。やっぱり元気だったから? 本当は去年の秋ぐらいからやはり足が弱っているなと感じ、また歩き方もちょっとふらふらした感じを否めなかった。特に透析の後の様子はしんどそうだった。毎年きちっと書いていた年賀状を書けなかったことや、3月には透析用の右腕の血管が詰まって人口血管への入れ替え手術をしたりでだんだん心臓への負担が大きくなっていたのかもしれない。いろいろ予兆はあったのだが、それを気にさせない位マイペースの父に安心させれていたのかもしれない。自然と弱っていく体力を無理に引き上げることもなく命の灯を枯れさせて行ったのかもしれない。寝たきりにもならず、ぎりぎりまで普段通りの生活を送り、たった4日間で逝ってしまった父はあっぱれ人世だったのかもしれない。そう思うことにした。」

 午前中は事務所に行く前に、父の古い友人やいつも気にしていた遠方の方に電話で今回の父の逝去について連絡して一緒に泣いたりして、結構時間が掛かった。つらいことだけど喪中ハガキでお知らせするまでには時間が経ちすぎるのでやはり連絡した。

 事務所で来客ありでいろんな事務手続きをしていると時間が過ぎ、父の外国からの年金手続きで大使館に連絡したら時間外だと再度連絡しなおすようにコールされ、しかも英語で結構ドライな対応だった。
 葬祭関係の費用の支払いも済ませ、明日も金融関係、年金関係で動かないといけないし、議会は始まるし、忙しくなるのは必定。悲しんでばかりはいられないのが現実だ。

日程ボケ?(泣)

 「今日は起床8時半と・・すっかり寝坊してしまった。というのもその前に寝たのが午前3時半だったのでそうなってしまったのだが・・。朝食後ダスキンさんが来たり電話対応などで9時半過ぎになっていた。しかも今日は自分の中では、カレンダー的に6日になっていた。ケータイに同僚議員から電話があって、今日が7日でしかも朝から全員協議会になっていたことを知らされ、びっくり仰天、慌てて庁舎に走った。本当に自分の中で父の死から一連のいろいろな事柄に奔走しているうちに、日程的な物まで狂っていたのか?本当に恥ずかしい。10時15分ぐらいにたどり着き、行政側からの6月議会で議題になっているようなことに関連した事柄について説明されているところだった。」

 そのあとすぐに全協は終わった。そのあと議会基本条例検討委員会の予定だったので、私は座長という責任上会議の進行役を務める立場なので、とにかく今日進めようと考えていた議会報告会について議論をしてもらった。本来なら今日までに他の議会での議会報告会の実態などの例示をしたいと考えていたのだが、この1週間の出来事でまったく時間もなく準備できなかったので申し訳なかったのだが、イメージ的なものはある程度分かっているのでするとなったら参考資料なり事前資料を作成する予定だっただけに、以前の会議でつかったものを利用して皆さんの議論にゆだねた。

 議会報告会の重要なポイントは、議員が地域に出向いて行って住民の皆さんとひざを交えての会合で、議会で決まったこと議案に対して賛成したり反対した理由など一見議会だよりの中身のようなことを説明報告する会なのかということになるが、それだけなく住民側からの意見、要望なども出てくるのは必定でそれが陳情合戦になってしまう懸念はあるのだ。そのあたりをうまく整理して意見交換会のような形にするのか、とにかくこのことを中心に議論を進めた。途中で脱線する様な意見が飛び出したり交通整理するのが大変だったが、約1時間ほどでこのことを条例に掲げることについてはほとんどの賛成を得た。ただ中身の精査があるし、実践のところでは別に会則を決めて行かなければならないだろうし、大変な作業が待っている。次会は6月20日ということに決定。

 12時前に何とか会合を終えていったん帰宅、そのあと報告もかねてフラダンスのレッスンに。聞けば仲間の一人のお母さんが昨日亡くなって休んでおられたのにはびっくり。
 「涙そうそう」のフラを踊っていると自然に涙が出てつらさがこみあげてきたものだ。潤子先生も去年お父さんをなくされ、気持ちはよく解ってもらえた。レッスン後仲間ともその話をして皆さんに優しく励まされまた自分を奮い立たせて、とにかくやらなきゃならない事務手続きや支払先など迷惑のかからないようにできることから方づけて行った。
 また当日返しのものを配り終えてないところもあったので届けて回った。
 夕方帰宅後、夫と色々な今後の打ち合わせを済ませ、7時過ぎには夫の従弟と一緒に市内に出て食事をした。
 時々父を連れて行っていたすし屋さんだったので、父のことを話すと大将も女将も大変驚いてショックな感じだった。帰りに鮨を少し折りに入れてもらって持ち帰り、位牌の前にお供えした。

 明日からもまたやらねばならないことがたくさんある。もう休まないと・・・

一日掛けて荷物整理を

 「今日は朝から雨模様。少し肌寒い。昨日1日かけて父の部屋をきれいに片づけて私の事務所で保存するもの、夫の倉庫に入れるものとに分けた。そしてそれらを軽トラックで従弟や息子たちに手伝ってもらいながら運びだし、きれいに何もない部屋に戻った。なんだかとっても寂しい気持ちになってきた。もうここに来ることはないんだなと思うと12年間通ってきたこの匂い、気配がとても懐かしく感じられた。多くの思い出の品を眺めながら片づけていると途中で悲しみに心が折れて進まなくなってしまうので、大勢だ一挙にやってしまうのがいいのかもしれない。」

 午前中にしっかり片づけをして、午後からの史談会理事会に間に合うように仕上げたパワーポイントのプレゼンが、結局披露する機会を失った。というのも時間を完全に午前と午後を間違えてスタンバイしようとしていたため、結局午前中の理事会には間に合うことができずじまいだった。
 来られていた方は私の父の逝去について知ってからは、告別式のすぐ後の私は会の出席は難しいと解釈した人は多かったそうだ。せっかくのスライドなのでまた県外研修への勧誘の時にでも使ってもらえれば・・・とも思っている。
 結局午後からも運んだ荷物の仕分けと最終の荷物の設置位置決めで、事務所に運ばれた多くの段ボール箱が夕方にはテーブルの上に積み上げていた段ボール箱がほとんど無くなった。

 夜はみんなで鍋を囲んでワイワイ明るくしゃぶしゃぶを楽しんだ。父も大好きだった豚シャブとビールで乾杯だ。
 明日は弟家族も帰って、いよいよ子どもたちも明後日にはそれぞれの生活地に戻ってしまうし、そうなった後からがいろんな意味で忙しくなるだろう・・・
 それが気を紛らしてくれて重い悲しみの呪縛から.一時離れることができるかも。
 ここの所の睡眠不足で、かなり眠気が出てきているのでもう寝よう。

父とのお別れ・・

 「この1週間は私の人生においてなんと激動的な悲しみが通り抜けて行った日々だったことだろう。5月の26日に入院した父が30日の夕方に急変して、その日の夜11時過ぎに帰らぬ人となってしまったのだ。何でこんなに早く、心の準備もないままに、弱りゆく命のともしびを必死でつないできた父の力が尽きたのか・・この喪失感はたとえようもない。でもその別れをじっくりとかみしめる暇もなく、親戚友人へのお知らせ、通夜式から告別式の段取り実行、挨拶、そして火葬場でお骨拾いをして骨壺に収められ小さくなった父と共に帰った来た。」

 遠方にいる息子や弟家族などに集合してもらうには、時間が必要。そのため通夜式を6月1日に、また2日の午前11時より告別式を執り行い予想以上の大勢の弔問客にお礼を告げ、少ない父の親類縁者と私の夫関係の親類などにマイクロに乗ってもらい、大平にある焼き場に行き骨となった父との帰還となった。
       告別式
 その間に住んでいた施設のエンゼルに必要な物を取りに行ったとき、ドアを開けた途端思わず泣き崩れてしまった。父の整髪料の残り香が今そこにいる父を想像してしまい、とても淋しさと悲しみが増幅され思い切り泣いてしまった。

 ラブちゃんを、みつつもも動物病院にあずけて斎場と自宅を往復し、本当に疲れた。
 父が亡くなった後、寝台車に乗せ直接ベルモニー会館に行き、その日から3泊そこで寝泊まりしたのだが、なかなか眠れなくて疲労が溜まってきていたが気が張っていたから乗り越えることはできた。

 明日から来ていた皆さんの香典返しの相談、その後の対応、また49日の法要までにすべきことなどの説明を受けた。
 初七日は今日してしまい、そのあとの精進落としの食事会も済ませ帰宅したのだが、今晩からやっと自宅で眠れるのだ。弟家族も一緒にやってきた。一挙に大家族のようになった。これもじいちゃんのお導きなのか?

 会場入り口には故人の思い出の品々を展示するコーナーが作られ、エンゼルからいろいろな物を持って来て飾り付けた。
            父の思い出 
 会葬御礼の文章もオリジナルで作成し、メモリアルテープを作成するための写真選びなども、子どもたちや弟家族と共に多くのアルバムの中から引っ張り出し、改めて父の人生の足跡を垣間見たような気がした。
 ありがとうパパ、さようならパパ、そして90年間ご苦労様でした。一番気にかけていた母のことはみんなで見守り最期にあなたのところに送り届けますから安心してください・・・

 孫代表の形で長男の弔辞、とてもうまくまとめ素敵なメッセージだったし、エンゼルの理事長の心温まる弔辞も素晴らしかった。
 父はこんなに多くの方々から最後のお別れを見守ってもらい、よかったね。いつかは来る別れではあるけれど、この現実をなかなか受け止められない私だけれど、時の流れに任せて時には泣いて笑って受け入れていくつもりだ。母にも父との別れをわかってもらえるかどうかはわからなかったけどグループホームから連れてきてもらって、通夜式の日にじっくり眠っているように横たわっている父の顔を見せ、告別式の最後の出棺の時にも花を手向けさせた。
 たぶん一瞬でも永遠の別れを感じてくれたのではないだろうか・・・

 さあ明日は、子どもたちがいる間にエンゼルに住んでいた12年間のいろいろなものを父の部屋から出し整理していかなければならない。私にはまだまだじっくり泣いている暇などないのだ。
 和尚さんは、前々から相談していた教深寺の住職さんにお願いして、素晴らしい心のこもった読経、説法など取り仕切って頂いた。ありがとうございます。《合掌》